水子供養は絶対に必要ですがいつまで供養を続けたらいいのか?
他界した前妻が、長女出産後、第2子となるはずだった子を流産しました。水子供養を始めたのはもちろんです。しかし、ある年のこと、秋のお彼岸の水子供養を怠ってしまいました。お寺からの葉書が届いていたのですがお参りもせず、回向料を添えての回向のお願いもしませんでした。
それから1ケ月後、私は交通事故を起こしてしまいます。飛び出してきた5歳の男の子を引いてしまいました。男の子は、足首を骨折してしまいました。水子供養をしなかったことに思いを巡らしていた矢先の事故でした。
それ以来20年以上、水子供養を欠かしたことはありません。
水子供養はしなくていいのか?水子供養は必要か?
よく言われるのが『水子のたたり』への恐れから、水子供養は絶対に必要だという意見です。
でも、水子は世俗の垢が全然付いていない魂です。そんなピュアな魂が成仏出来なかったり母親や父親を恨んだりすることはあり得ない話なんです。
我が子になるはずだった水子を怖がる必要は全くありません。
しかし、成仏した水子でもピュアな魂でも、寂しがっていないでしょうか?この世に生を受けずに、母親の胸で眠ることもできずに、ただ極楽でお釈迦様に抱かれているだけです。
生まれてこられなかった子供が成仏できるよう、供養してあげてください。
このくだりも何か釈然としません。成仏なんか、とっくにしていますよ。ただ、寂しいんじゃないかと感じます。
霊を信じる信じないということとは別に、我が子になるはずだったんですから、愛情を持ち続けてあげるのが大切なんだと考えます。
しかし、流産したり中絶したりという物理的現象を受け流すだけで済ませるのは、水子にとってあまりにも残酷です。
私の場合、供養を1回しなかったという思いが強かったこともあります。お寺にお参りに行こうかなと考えていた矢先に交通事故を起こしてしまいました。
私の思いが水子に伝わって、悪さをしたのかもしれません。
水子って?
流産や中絶で、母親のお腹の中で亡くなり、この世に生をうけることができなかった赤ちゃんですね。ですので、生まれてきたかったと思えますよね。
水子供養は、我が子になるはずだった水子に思いを馳せて、極楽での幸せを願ってするものだと思っています。
そうすると、『水子のたたり』を恐れて水子供養をするなんて言語道断です。我が子なんですから。『水子のたたり』伝説は、命を大切にしない奴には悪いことが起きるぞって、戒めだったのかもしれません。
大切なのは、我が子になるはずだった水子への慈(いつく)しみです。
ですから、水子供養は何年続けたら終わりになるのかなんてことは考えられませんよね。でも、当の両親が他界してしまったら、もういいのかもしれません。極楽で楽しく過ごせたら水子も寂しがりませんから。
流産でも当然に水子供養は必要ですよ!
他界した前妻は流産でしたが、流産でも当然に水子供養は必要だと考えます。
中絶の場合、『水子のたたり』なんていう畏怖の思いから水子供養を考えがちですが、命を大切にできなかった・・・という我が子への慈しみから是非とも供養をしてあげてください。
流産であっても、我が子になるはずだった子なんです。ぜひ供養をしましょうね。
水子供養はいらない、不要説の根拠は?
ですから・・・
という説のほかに・・・
ちょっと、悲しい説ですが、世間に水子供養が周知されるようになった歴史は浅いようです。
お寺の集金マシーンとして水子供養があるというのは、あながち否定できません。
しかし・・・
親として我が子を慈しむ気持ちから水子供養をすることもまた、否定はできません。ご先祖様を大事にするように、魂となった水子を供養することも同列に扱えば足りると思います。
奈良市の帯解寺で水子供養をしています。
奈良市の帯解寺と言えば、美智子様・紀子様・雅子様に腹帯を献上していることで、ご存知の方も多いと思います。
最近は回向料の納付で済ませています。住職の読経に頼りきりです。
ただ、この回向料は20年以上変わっていません。水子供養を始めたときは、水子地蔵を購入しましたが、どれが我が子なのか今となってはもうわかりません。
最初の水子供養のときにちょっと驚きました。
本堂で読経をしていただきました。
そのとき、2歳になろうとしていた長女を抱っこしていたのですが、線香の煙が上に立ち上っていったときのことです。
なんと・・・
小さな長女が煙に向かってバイバイしたのです。はっきり覚えています。誰もいない空間に向かって、バイバイって手を降っていました。
長女には見えたのかもしれません。極楽に行こうとする水子の姿が。
2歳くらいの子がバイバイするのは普通ですが、知り合いとか対象がいないとしませんよね。私が抱っこしている、その腕の中で本堂の闇の中に向かってバイバイしていました。
水子が成仏して、昇って行ったと思って安心したことを昨日のことのようによく覚えています。 [blogcard url=”https://discovery-japan.biz/archives/2156”]