鯉のぼりをなぜ飾るようになったのか子供に説明してあげてください♪
たとえば、雛人形でしたら、飾る時期は立春(節分の翌日)から2月中旬まで、しまう時期はひな祭りが終わってすぐに、というのは一般的だと思います。ただし、地域によってはかなりの誤差がありますが。
鯉のぼりについては定説を知りませんでした。いつも、ご近所で立派な鯉のぼりが泳ぐ時期になると羨ましいなぁ(広大な敷地のお宅ですから)と思う程度で、特に意識していませんでしたが、鯉のぼりのウンチクも仕入れておきたいと思って、まとめてみました。
端午の節句は、なぜ5月5日なのか?
鯉のぼりを飾るのは、端午の節句の象徴的な行事です。
さて、端午の節句が5月5日になっているのはなぜなのかご存知ですか?
『端午』の『端』は「はじめ」という意味です。 また、『端午』の『午(うま)』は言うまでもなく、十二支の午です。
上記のとおり、端午の『午』は月の十二支で表すと5月になります。 当初、端午は5月最初の午(うま)の日のことでした。 それが、午(ご)という文字の読みが五に通じることなどから、奈良時代以降、5月5日が端午の節句として定着していったのです。
とても古くからのしきたりですが、おおもとは古代中国の風習が輸入されたのです。 古代中国の言われは、かなり複雑になるので割愛しますが。
ちなみに、元々の「端午」の意味は、各月のはじめの午の日だったようです。
なぜ端午の節句に鯉のぼりを飾るようになったのか?
鎌倉時代頃から、『菖蒲(しょうぶ)』が、武を重んじる『尚武(しょうぶ)【武道・武勇を重んじること】』と同じ読みであること、また菖蒲の葉の形が剣を連想させることなどからと、「端午の節句」は、「尚武(しょうぶ)」の節句として、武家の間で盛んに祝われるようになりました。
その後、江戸時代には、端午は幕府の重要な式日となり、大名や旗本は江戸城に出仕し将軍にお祝を述べました。 将軍に世継が生れると、城中にたくさんの幟(のぼり)や長刀、兜などを立てて盛大にこれを祝っていたのです。
この幟(のぼり)がヒントになったのかもしれません。
鯉のぼりは、江戸時代中期に町人のアイデアで生まれた端午の節句の飾りです。鯉は清流はもちろん、池や沼でも生息することができる生命力の強い魚です。中国に古くから伝わる登竜門の伝説になぞらえ、 竜門の滝を登り切ると鯉が竜になるように、我子も健康に育ち、将来は大きく出世して欲しいとの気持を込めたものです。
また、我が家に男の子が生まれました。 どうぞお守りください・・と天の神様に伝え、守っていただく意味があるとも伝えられています。
鯉のぼりは、いつから飾るのか?
特に正式な決まりはありません。
春分の日からOKという説もありますが、お彼岸は避けるべきだとの説もあります。
そこで、本当に無難なのは、4月5日頃(二十四節気『にじゅうしせっき』の清明)で天気の良い晴れた日になるでしょう。
鯉のぼりはいつまであげるのか?
これも正式な決まりはないんです。
ただ、5月21日(二十四節気の小満)までには片付けた方が良いという説が大半です。
個人的には、端午の節句が過ぎたらすぐに片づけてしまうのは、いかにも味気ないと思います。 でも、連休が終わっても泳いでいる鯉のぼりって、楽しかった連休のことも考えるとちょっと寂しい気分になるかもしれません。
そこで、連休後なるべく早く、連休後の土日には片づけたいな、と考えます。 [blogcard url=”https://discovery-japan.biz/archives/2196”]