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八甲田山雪中行軍の遭難事件はその無謀さゆえに悲惨で恐ろしい結末!

 

八甲田山雪中行軍遭難事件(はっこうださんせっちゅうこうぐんそうなんじけん) って聞いたことありますか?

 

たまにテレビで再現ドラマがあったり、話があがったりしているようですが 詳しく知らない方も多いのではないでしょうか。

 

実際私自身も調べるまではそんなに詳しくなかったので、 調べれば調べるほど恐ろしい事件だなと感じました(><)

 

時代はさかのぼりますが、日本でこんな悲惨な事件があったというのは これから生きていく若い人達にも知っていてほしいですね!

 

わかりやすくまとめたので、ぜひ読んでみてください。

 

八甲田山雪中行軍の遭難事件まとめ

1902年(明治35年)1月に青森県の南側にある火山群で、日露戦争を前に雪中行軍の訓練をしていた、日本陸軍8師団の歩兵第5連隊が遭難した事件です。

 

なんと、この事件では参加者210名中199名が死亡(6人は救出後に死亡)したという恐ろしい事件だったんです。

 

 

この八甲田山と呼ばれる山一帯は、冬季になるとマイナス30~40度にまでなることがあるといわれています。

 

その結果、多くの日本兵が低体温症や凍傷によって亡くなられたのですね。

 

また、1泊2日の訓練の予定にもかかわらず、悪天候なこともあり遭難してしまったため、 最後の生存者が見つかるまで11日もかかっています。

 

もともと食糧や物資も1泊2日分程度しか用意されておらず遭難したため、 空腹による疲労も計り知れなかったでしょう。

 

さらに、この寒さで眠ると凍死すると言われ、ほとんど睡眠もとることができない状況が続いたことにより、精神的におかしくなってしまった人もいるようです。

 

なかには裸になり雪に飛び込む人、服を脱ぎ川に飛び込む人、 手が凍傷で動かせず尿を垂れ流しにした結果瞬時に 凍って凍死した人などがいたといいます。

 

発見された遺体は、雪の中で直立したまま凍っていたものもあったそうで、 とても悲惨な事件だと感じました。

 

なんとか助かった方々も凍傷がひどく、四肢切断を余儀なく されたかたも多くいらっしゃったようです。

 

八甲田山雪中行軍の遭難事件はなぜ起きたのか?

 

現在でも雪山での遭難者はアトを絶ちませんが、

なぜ訓練でこんなにも被害がでてしまったのでしょうか。

 

実はこの訓練は第5連隊だけでなく、ルートや日程は違ったもののほぼ同じ条件で肥前歩兵31連隊も参加していたのです。

 

しかし、遭難してしまったのは第5連隊だけで、 肥前歩兵31連隊では全員が無事に生還しているというのです!

 

なぜこのように違いが出てしまったのか…。

 

そこには、大きく分けると3つの理由がありました。

 

1.気象条件の違い

行軍隊が遭難した山中はきちんとした記録がないため定かではありませんが、 マイナス20度以下だったと推測されています。

 

この過酷な気象条件が遭難を引き起こした最大の要因だと言われているんですね。

 

2.知識や情報の不足

第5連隊には東北出身の方がいましたが、 平地出身が多く八甲田山周辺の気候をよく知る人はいませんでした。

 

出発する際には地元民が八甲田山の寒さや天候を懸念して、 引き止めたり案内役を申し出たりしたのも断って訓練を強行したといいます。

 

さらに、そんなに寒い山に行くとは思えないような軽装で行ったことや、 予備の靴下や軍手も用意していなかったことにより、 被害が拡大したと考えられています。 でも冬山では綿100%の靴下や軍手などでは全く役に立たないんですが。

当時の装備で厳冬期の山に入ること自体、無謀だったと言えます。

 

3.急な編成による指揮系統の混乱

第5連隊は訓練直前(3週間程前)に指揮官に神成大尉が任命され、 神成大尉は雪中行軍に対して予備知識がないまま準備段階に入ったとされています。

 

さらに、もともとメンバーとなっていた山口少佐のほうが職務の関係からみると 上司になることもあり、兵士たちは誰の指示に従えばいいのかわからない状態となってしまっていたようです。

 

このことが、遭難してから指揮が変わったとも言われていて、 余計に兵士たちに混乱を与える結果になったとみられます。

 

このような悪条件がいくつも重なれば、遭難することはもちろん、 生存者がいなかったとしてもおかしくはないでしょうね。

 

わずかな生存者がいたというだけでも、奇跡に近いと感じました。

 

反対に、肥前の第31連隊はどの条件もクリアしていたので、全員生還できたのでしょうね。

 

しかし、肥前の第31連隊は、反対する地元民に無理やり案内役をさせて途中で置き去りにしたので、案内役は全員が重度の凍傷をおってほぼ再起不能の状態になってしまったといいます。

 

うーん・・・これを聞くと第31連隊も称賛できたものではないですよね…

さいごに

 

現在も冬の登山で遭難したというニュースを耳にしますが、 きちんと凍傷の危険などを把握しておくべきですね。 冬山って基礎的な訓練を十分に積んだエキスパートの世界だからです。

 

学生時代に、山岳部で北アルプスを中心に何回も冬山に登りましたが 過酷な条件は現代でも全く変わっていません。

 

安易な気持ちで冬山にいくと、どんでもない最悪の結果をまねく 危険性が高いことをきちんと知っていてほしいと思います。

 

もちろん冬に関わらず登山での事故は絶えませんし、 何をするにしてもきちんと予備知識や備えをしておくことは 大切だと痛感しました。

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